Seita

私と対話というもの(鹿児島で、一年で最も“対話”について対話するにふさわしい日の自己対話記録)

ようこそ。  私と“対話”との出会いは、20歳。  千葉県の静かな森の中、ネイティブ・アメリカンの知恵と儀式と練り込まれたアクティビティで、「Faith 信頼」を心と身体を文字通りフルに使って学ぶキャ…

今日は休むと決めたのです(養生と陰陽五行と休むこと。そして有機農業の祭典)

「今日は休むと決めたのです」とイベント会場のホテルの廊下を歩きながら着想が湧き、その思いを綴っていきながら、自分の中の様々な活動や知恵がつながっていくのを感じる文章になりました。夢中とがんばるの違いを感じながら。

大事なことを語ろうとするときに覚えていたい「見方」の見方

人生は、「見方」についての学びを深め続ける道でもあると感じます。自分の探求の最前線の一つ「ナラティブ・アプローチ」からインスパイアされ、人の見方、感じ方、言葉についての今の自分の「見方」をまとめてみました。

持続可能なハイパフォーマーを支える「養生」と「陰陽五行」:出会い編

成果を生み出すビジネスパーソン。夢を生きる。やりたいことを生きていく。どんな生き方をするにも重要だと思っていることの一つが「養生」と「陰陽五行」。星の巡りという、私たちよりも文字通り大きな存在から受ける影響。それを知って生きるのは賢明なことだと思います。

毎日文章を書くことの意味。ブログ・ナラティブ・Writingという学びの大陸。

私が毎日なにかを思いつくたびにメモをとること、自分の中で明確になっていないことでも試みに言葉にしようとすること、そしてブログとして言葉を公開しようとすることの強い動機をつくっている情報をまとめました。

助産院コミュニティの場づくり、動き始め!

いよいよ助産院とはじめるつながりの場づくりが産声をあげました! “ベイビーステップ”で小さく楽しく豊かに取り組み始めよう。

言語化の質と量を別次元にする音声入力のススメ

(この記事は、音声入力の方法について書いていると共に、途中から言語化・言葉にすることに対しての熱い想いを書き綴っています。音声入力についてだけ知りたい方は序盤だけドライにどうぞ!)ようこそ。

コミュニティの中心としての助産院でやりたいこと その1:味噌づくり

ようこそ。 助産院をコミュニティの中心としてやっていきたいことのひとつに、味噌づくりがある。 助産院は命が生まれるところ。赤ちゃんやお母さんの母乳の菌もたくさん飛んでいるところ。そんなところでつくった味噌は、ぼくたちの健…

“共感”が大切な理由

共感について、これまで“NVC”の中で学んできたこととはまた別の側面から、なぜ大切で、なぜパワフルに働くのかを言葉にしてみました。

2019年最初の新月の決意

新月は、自分の願いを、それが既に叶ったことのように言葉にすることで、願いを叶えていくスタートの日。いつであっても、言葉にすることの力は巨大だが、人が現れる前から生物が付き合ってきた月との関係から、この日はさらにその力が増すのだろう。

変化というもの、言葉を紡ぐこと、生きた情報の豊かな生態系をつくること

言葉を綴り、情報を作り続けていくというのは、自分の情報空間の中に豊かな情報の生態系を作るようなものだ。生きた情報同士の有機的なネットワークが作られていく。そこにはしなやかな強さがあり、豊かな実りがある。

「セルフイメージ」のことを真剣に考え始める

ようこそ。 今、自分のセルフイメージについて、こうありたいということを明確に持てていない。心の中にはたくさんたくさんあると感じるが、言葉として明確にはできていない。それは、自分をどう見せるか、どうあるように生きるか、とい…

私たちと鹿児島中央助産院

私たちにとって本当に大切な存在である鹿児島中央助産院。お産を支えてもらったというだけでない、ひとかたならぬ関わり方を振り返ってみました。このつながりがあるから、これからも力になり続けたい。そう思っています。

着想を形にする快感と、進化の目的を思う

ようこそ。 着想を形にしていくことというのは、人間にとってこの上なく満たされるものなのではないか。ニーズで言えば、生きている実感、イキイキさ、好奇心、見てもらえること。感情で言えば、魅了される、ワクワク、駆り立てられる、…

感情とニーズのリテラシーを育んで起こること

ようこそ。 NVCで、感情、ニーズを推測することができるリテラシーを育むのは、それができるようになって、それを言えば相手との関係性が良くなるから、ということでは、解像度がまだまだ低いのだと思う。それは、相手の感情やニーズ…

私たちがブログを書く理由

ブログを始めます。試みとして、家族で一緒に。自分の中の着想を言葉にしていくための場所として。そしてそれが動きのない場所ではなく、誰かが触れて循環が始まる可能性のある場所であるように。