「セルフイメージ」のことを真剣に考え始める

ようこそ。

今、自分のセルフイメージについて、こうありたいということを明確に持てていない。心の中にはたくさんたくさんあると感じるが、言葉として明確にはできていない。それは、自分をどう見せるか、どうあるように生きるか、ということをぼやかせてしまう。

決めてしまうことで、それ以外のものではなくなってしまう、ということもあるが、それはまた、そうありながら、揺り戻しを掛けていけばいいことでもある。

やってみないことには、自分のそのあり方を磨いていくことができない、ということでもあると思うと、また変容していくことを前提としながら、自分はどんな存在なのか、ということを一度設定しておくことは大切なことなのだろう。

それが固定されたものである、自分は変わらないものだ、という感覚にはならないようにしながら、とも思うが、実際にそうなっているときには、一心にそうなっている方がいいのだとも思う。だから、そのときにはそれが自分だと信じて生きるのがいいのかなと、こう書きながら思う。

その上で、また変容するとき、それまでのようではうまくいかないことに気づくとき、ああ、この時期がまたやってきたんだな、自分はまた一歩進めるのだ、ということを痛みとともに感じられればいいのだろう。

というわけで、自分のセルフイメージについて考え始める。


こういう時に、それを考える方法のようなものを求めようとする自分の中の意思に気づく。

同時に、これまでにもいろんなことを学んできて、自分の中にある、そういう方のようなものも無意識にあるだろうから、まずは直感で考えていくのがいいのだろう、という意思も生まれる。

そのどちらがよりよい方法なのだろう?どちらがより本質的なのだろう?という問いかけをしようとする意思の存在にも気づく。

どちらがより良い、どちらが正しい、ということ自体、そんなものはないのだ、という意思の存在も現れる。

そういう評価や判断をすること自体、自分を固定的にしたり、自分の命からのエネルギーと切り離してしまうことを生み出す元になるんだ、という意思も現れ、それに対して、それこそまた新たな評価判断をしているということなんだ、という意思もいて、この何重にも続いていきうる評価判断の罠があるよなと気づく意思も現れる。


こうして思考は自由自在に展開していくのだが、横道にそれているようで、こういう思考の展開をしている事自体、自分のセルフイメージを鮮明にしていくことにも役立っていると気づく。


インスピレーションを受けているブロガーにjMatsuzakiという人がいる。ぼくがブログを始めようと思え、そのことに兆しや動機があるのは彼からのインスパイアのおかげだ。

彼がすごいと思うのは、こうしたセルフイメージなどの領域について考え抜いていること。ブロガーとして、自分そのものが商品というか、自分そのものが仕事というか、自分を生きるということそのものをやっている以上、自分がどんな人間で、何を大切にしていて、どうなることを目指しているのか、ということを明確にすることは本当に中核的なことなんだと改めて思う。彼がああした形でブログを更新し続けてくれていることに感謝が湧いてくる。

彼がブログに記していることを思い起こすと、自分がどう生きたいのかを明確に書いている。自分が人生の中で大切にしたいことを明確に書いている。自分の写真をどう見せるか、どんな言葉を使うか、理想の自分のセルフイメージをとても明確にしていることが感じられる。

だから、自分が整えたいと思うのは、

・自分の写真。気に入ったもので、こういう状態でありたいと、自分で見てもその感覚が呼び起こされる写真。
→自然の中で、気に入った服を来て、気に入った髪型で、満たされた表情でいること。でも、日常と離れすぎていないこと。自分の日常を、その理想的な状態に近づけていくということでもある。
・自分が願っている世界の姿。
・自分の人生の中で大切にしていること。
・自分の日常の中で大切にしていること。
・この1年の中で大切にしていくこと、こういうことを目指していくという、ある程度具体的なこと。

まだ加わっていくものもあると思うし、一度整えたものもまた更新しながら、色を変え、形を変えながら、自分にとっての自分というものが、形を成し続けていくのだろう。

自分の前進のリアルな姿、それはそのときにしかないとても貴重なもの。それを自分のためにも残しておきたいし、将来息子が読んで役に立つこともあるかも知れない。自分の家族や友人にとってはリアルタイムに自分を理解してもらうことに役立つだろうし、インスピレーションをあげられたり、癒やしや前進のための役に立つかも知れない。そう思って、体裁を気にしすぎず、こうして残し続けていきたいと思う。

また会いましょう。

ぼくがたき火を愛していることは間違いない。
熾すまでの乾いた薪を集め、火口を探し、火を熾し、大きく育み、その炎をうっとりと眺める。
どの瞬間もとても満たされる。

▼jMatsuzakiの、インスピレーションをくれた記事

この記事を書いた人

Seita
Seita
システムファシリテーター
株式会社musuhi 取締役COO / Chief Dialogue Officer
ひとつまみの希望 主宰
世界と変わるコトバ研究所(NVC インテグラル理論 U理論 つながりを取り戻すワーク システム理論 等を統合的に扱い「私から、世界と変わる」ための研究・実践活動)


東京生まれ。大学時代から環境問題に取り組み、社会人時代に15年続く環境NPOの代表理事を拝命。2011年に鹿児島に移住、対話・ファシリテーションを鹿児島のまちづくり・地域コミュニティの文脈に導入する事業に参画。2017年4月に合同会社むすひを共同創業、「対話を核に組織が文化から変容していく」組織変革プログラムを仲間と運用。現在は「協働の質を高め、チーム・組織の中での対立も扱えるコミュニケーション:NVC」のオンラインスクール・コミュニティ事業や、第一人者たちと日本での展開に取り組む。


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