変化というもの、言葉を紡ぐこと、生きた情報の豊かな生態系をつくること

ようこそ。

男性性が表している、仕事とはこうあるべき、組織はこうあるべき、こんな決まり事があって、というようなものは、これまでの社会を形作る中ではとても機能していたし、だからこそ重要視されてきた。

しかし、それが機能不全を生む要因にもなることが、今わかってきているわけだ。

当たり前のようにそれを重んじ、そうあるように営んできたから、それ以外の方法を考えることも難しいし、それを採用する事はもっと難しい。

そんな中で、それでも願う姿を現実にしていこうと思う時に、手放しても良いことは積極的に手放していくこと。男性性に偏った判断をしてはいけない、という別の「こうあるべき」が生まれた時点で、それはまた男性性的な考え方、関わり方になる。

相手がそう思うことを認めること、相手がそう思ってることを変えたいという誘惑を手放すこと。そこから始まっていけるのだと思う。手放すというのも、「そんなこと自分にはどうだって良くて、もっとこうなれるようにしようよ。」といったエネルギーの質で伝えるのだと、やはり同様に相手が大事にしていることを、それは自分にとっては重要ではないと表明し伝えてしまうことになるし、自分が信じているあり方と、そうではない相手のあり方がある、ということを表現していることになり、相手はそのことを純粋に受け取ることが難しいだろう。

だから、今の自分から見えていること、自分が感じていること、自分が願っていることを丁寧に言葉にできるというのは、その願っている状態を現実にしていくためにはとても重要なことなのだと思う。

だからこそ、こうして言葉を綴る。言葉にする力を育むことと、情報の豊かな生態系を築いていくこと。

こうして言葉を綴り、情報を作り続けていくというのは、自分の情報空間の中に豊かな情報の生態系を作るようなものだ。生きた情報同士の有機的なネットワークが作られていく。そこにはしなやかな強さがあり、豊かな実りがある。

その中でまず大事なのは、どんな形でもいいから言葉にしてみるということだ。こんなことを言ってはいけないのではとか、こんなことを世に出してはいけないのではとか、もっと整理された読みやすいものにしなければならないのではとか、それらも確かに大切な感覚なのだと思う。でも、それがあることによって自分の中から言葉にすることがされなかったり、それによって、誰かの人生の長い時間と膨大な経験をもとに現れてきたとても貴重な言葉に触れるチャンスが損なわれてしまうのは、世界にとって大きな損失のようにも感じる。

この、人々が総力戦で未来のために当たっていくことが求められる現代の中で、その事は本当に必要なことのはずなんだ。

多くの人に読んでもらうための整形された情報ではなく、あなたの人生の長大な時間と膨大な経験を通して現れ出てくる言葉をぼくは聞きたい。

また会いましょう。

鹿児島の隼人にある、蛭児神社(ひるこ)の御神木。使わせていただきます。

This post inspired by below.

勝間和代さんからもたくさんのインスピレーションをいただいています。感謝。

この記事を書いた人

Seita
Seita
システムファシリテーター
株式会社musuhi 取締役COO / Chief Dialogue Officer
ひとつまみの希望 主宰
世界と変わるコトバ研究所(NVC インテグラル理論 U理論 つながりを取り戻すワーク システム理論 等を統合的に扱い「私から、世界と変わる」ための研究・実践活動)


東京生まれ。大学時代から環境問題に取り組み、社会人時代に15年続く環境NPOの代表理事を拝命。2011年に鹿児島に移住、対話・ファシリテーションを鹿児島のまちづくり・地域コミュニティの文脈に導入する事業に参画。2017年4月に合同会社むすひを共同創業、「対話を核に組織が文化から変容していく」組織変革プログラムを仲間と運用。現在は「協働の質を高め、チーム・組織の中での対立も扱えるコミュニケーション:NVC」のオンラインスクール・コミュニティ事業や、第一人者たちと日本での展開に取り組む。


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