助産院コミュニティの場づくり、動き始め!

ようこそ。

みなさんご存知のとおり、私たちと鹿児島中央助産院とのつながりはひとかたならないものです。


そんなこんなで、年明け早々に助産師さん・助産院を愛する親子たちで、助産院のこれからや助産院をコミュニティの場としてどう活かしていけるか、話す機会を持つことができたので、そのことを記しておきます。

ことの流れ

2018年暮れ。

始まりは、院長の愛さんが人手不足で夜勤続きと聞いていて、「きっと年越しも1人で助産院なんじゃないだろうか…それはほっとけない!」と連絡したことから。我が家も、実家に帰るより、家で自分たちの静かな時間をじっくりと過ごすことを大事にしていたので、その時間を大事な友人・愛さんと過ごすのはとてもいいアイデア!と思い、お誘い。すると案の定、愛さんは大晦日から元旦にかけての夜勤でお産の予定もなく1人で過ごすとのことで、「それは一緒に過ごそう!」と提案すると愛さん大喜び!

こうして、大晦日の助産院で鍋をすることになったのでした。(もちろんお産待機の自由な時間の中で!)

※勝手なイメージで、「院長」というと、なんだかかたい感じや距離が遠い感じがしてしまうけど、愛さんはとっても気さくで、どっしりとお産を支えてくれると共に、弱さも見せてくれる、人間味の溢れる助産師さん。世の中の院長さんたちもきっと同じような内側を持っているのだと思うけど、そこに触れられるようなつながりを持てている人は愛さんくらいだなぁ。

助産院での再会と、素敵な晩餐。

妻のSakikoが用意した鍋をつつきながら、2年前の「鹿児島未来170人会議」で愛さんのプレゼン準備をする中で話していた、助産院が社会の中で担っている役割の尊さお産をした家族たちとのつながり同時にある助産院の運営に関しての難しさについてあらためて話し、これはやっぱりなにか力になりたい!と強く思いました。

そして、2018年は愛さんにとって大変なことの多い1年だったことを思い、純粋に楽しめる機会として「一緒に映画を観よう!」と提案、「観たい!」といつもの愛さんの笑顔で、次の機会が決定。

ちょうど同時期に、「ここでお産をした家族が、また気軽に集まれるきっかけをつくりたい」と思っていたゆりさんと、「自分の専門性も活かしながら助産院やお産をするお母さんの支えができないか」と考えていたえりぃさんが集まる機会もあるということで、「よし、一緒に集まっちゃおう!」と発展しました。

さらに、せっかくの機会だからと、助産院で出産をしたみほこさんと、霧島のあお助産院のさちえさんも合流することに。

もともと、それぞれがそれぞれに大事な思い入れを持っていたし、どんな形で関わりたいか、どんなことができそうかも多様だったので、事前に特にゆりさん、えりぃさんとは電話でも話し、どんな機会にしたいかを共に描き、1月12日の話し合いの場に到着したのでした。

はじまりの集い

当日は、鹿児島中央助産院2階の集会スペースにて、オンラインも含め全部で14名の集いに。そのうち、6名が赤ちゃんと子どもたち! なんとも素敵な顔ぶれ。 

初めて顔を合わせる人、お久しぶりの人も多かったので、何はともあれ、「それぞれ今どうしてこの場所にいるんだろう」「どんな想いを持って今日の機会に集っているんだろう」という言葉を話し、聴き合う時間から。 

その中で話されたことがとても豊かで、その一部をご紹介。 

「お産をした家族がまたここに来るきっかけを作りたいと思っていたけど、まずは自分がここに来たかった。来れていないと、寂しいとさえ思う。そして、ここに来るとやっぱり落ち着く。年明け早々ここに来ることができて、運がいいなぁ」

「私は助産師だけど、ここでお産をしてここが大好きな女性の一人。人からは難産と言われるお産だったけれど、そのお産が本当に良かった。家族、お母さんを丁寧に支えてくれる助産師さんたち。そしてそれをいいなと思うお母さんたち。このお産がずっと続いていったらいいな。

二度目のお産は、双子のお産。今度は、医療がずっとそこにあるお産。子どもと私の心身にまつわるリスクをたくさん伝えられて、考える事が多い妊娠生活だった。そうして、帝王切開だったけど、安産だっだと感じてる。それは、妊娠中に愛さんみたいな助産師さんや仲間たちが気にかけてくれたから。そして、信頼できるドクターがいてくれて。みんなに迎えられてこの子たちが世界にやってこれたと思えているから。だからこそ、安産だと感じられてる。たくさんの喜怒哀楽も感じながら。

お産は生き様。それを感じているお母さんたちと集まりたいし、そして医療者とも話したい。そこで話されることを発信したいし、こんなお産を願っているお母さんたちがいるということを伝え続けたい。そして助産師の仲間たちにも、私たちは技術だけでなく、自分の人間性・あり方を大切にした助産をすることも求められているよ、ということを伝えたい。」

「今まで3回出産してきて、助産師さんたちすごい!と毎回感じてる。上の2人は産婦人科でフリースタイルのお産ができて。そこでも最初にバースプラン(どんな出産をしたいかという願いのプラン)を伝えたら、その内容についてすごく詳しく話してくれたし、お産のときには助産師さんがお医者さんに「そうじゃなくて、○○さんはこんな出産がしたいんです!」と熱く話してくれた。実際には痛くて痛くて「どっちでもいいー!」と思ってたけど(笑)、そうして覚えてくれていたことに感激した。

地元ではない場所で2人の男の子を「ワンオペ育児」する中で大変で…助産師さんに相談したら「助けを求めていいよ」と言ってくれた。彼女たちも自分の日々があり、お産もあるのに。助産師さんたちは、素晴らしい助けの声かけをしてくれる。

そうして、3人目の出産は助産院で。切迫流産や逆子だったりいろいろ大変だったけど、助産師さんたちの言葉の素晴らしさ、子どもの生命力、を実感してる。子どもたちは本当に、自分のやりたいことに一直線。

今は仕事もしながら、子どもも見ながら。ふっと思い出すのは、助産師さんのこと。お母さんたちにとって助産師さんの存在は大きい。だから、ここでサークルをつくったら?と声かけしてきた。ここがコミュニティになり、お母さんたちがホッとできる場になったらいいなって思ってる。

愛さん

「私は10人兄弟の大家族で育って。自分は結婚出産していないけど、子どもが周りにいるのが肌になじんでて、落ち着く。助産師になっていろんな場所でお産を支える経験をしてきたけど、助産院のお産を見て衝撃を受けた。ただ一緒にいるだけの助産師さん。そして中心にはお母さんがいる。

30代、青年海外協力隊でラオスに行って、また大きな衝撃。だって、お母さんたちが楽しそうだし、ラクそうなの。生活の苦しさはあるはずなのに、ゆるゆると子育てしていて。それを見て、日本に帰らなくちゃ!と思った。なんで日本のお母さんたちはあんなに大変そうなんだろう。お産と子育てはもっと楽しいもののはずなのに!って。

ここにはいろんな人たちが来る。自然なお産をしたいと思って来る人もいるし、生活保護を受けていてここを指定されてやって来る人たちいる。いろんなお産を見る中で、育児は本当にいろんな揺さぶりがあり、お母さんにとっては危機にもなりうることを感じてる。そうして思い出すのは、やっぱりラオスのお母さんたち。本当はあんな風に生きていくこともできるんだって。

だからお母さんたちと、お産以外でもつながり続けたいと思ってるんだけど、なにかの機会をつくる余裕はなくて。だから、こうして声をかけてくれて、集まってくれていることがとても嬉しい。

助産院を続ける難しさは、何年も感じてる。続けるには助産師の確保、お医者さんからの協力が必要。そして日々の運営をして、自分たちの給料も準備する必要があって…自分が得意ではないこともたくさんやらなきゃいけない。そんな中で、お母さんたちが「何かしたい!」と言ってくれることが嬉しくて、活力になる。

こうして、ジャッジされずに話せる、安心してホッとできる場があったらいいな。そして、こうして話していたら、育児に関する知恵の伝承もできると思う。それぞれのお母さんが持っている知恵や特技も。いろんなものが集まって、助産院が充実していったらいいなと思う。

Sakiko

3歳の息子を、移転前の助産院で出産しました。家が近かったからギリギリまで家で過ごして、そして助産院に行って愛さんが大きな手のひらで仙骨を触ってくれたときに、もう大丈夫だと思った。助産院の存在、助産師さんの力をその手のひらで感じた。

お産も、私の感覚を邪魔しないようにそばにいてくれて。胎盤が出てくるまで3時間かかったけど、待ってくれて、出血も少なくて済んだ。そうして待ってくれる。社会ではリスクを言われたり急かされることが多いけど、そこでは、「待ってくれる」という寛容さをこれまで感じたことのないレベルで感じられた。お産の後もゆっくり委ねて過ごせて、安息の時間。休めるんだということ。こんなに休めたこと、社会の中ではなかった。いつだって助産師さんがいてケアしてくれる。実の母にもこんなにしてもらっただろうか、と思うくらい大きな母性を感じる場所。助産院ってすごいなって思えた。

産後は大変だった。夫も仕事でいないことも多くて、泣き止まない息子を「誰か一人でも抱っこしてくれる人がいたら…」と思っていた。
今は余裕ができてきて、産後のお母さんの物理的・心的なサポートをしたいと思ってる。この大切な助産院で、心からの声を話せるサークルをができたらいいな。そして、助産師さんたちと話せるだけでホッとする。
あお助産院でもサークルを囲んで、女性同士だから理解し合えることがあるし、女性同士で信頼し合いたいという気持ちがある。ここでも女性たちの集いをやっていくことができたらいいな。大きな目で見たときにも、社会の中での器になっていくと思うから。

そして「私たちがやりたいこと」を言葉にしていく

当初予定していた時間枠は1時間半。ここまでですでに1時間と少し。けれど、ここで話されたことから、このこれから起ころうとしている動きの中で大事にしたいことや、自分たちがなぜ助産院という存在やお産と言う営みに心惹かれ共鳴しているのかがよく見えてくる時間でした。こうした時間が、とても大事だと思う。それぞれの想いが言葉になったもので紡がれた土台を分かち合っているからこそ「ではどんなことをしたいだろう」「どんなことが私たちの想いに適うだろう」ということを話していけると思うから。

だから、その後は30分くらいの時間だったけれど、率直に、闊達にアイデアやイメージが話され、いくつもの企画のタネや、今後私たちはどんなふうに一緒に取り組んでいきたいかが見えてきた。短いながらも、大きな収穫のあるいい時間でした。

これからについては、組織立ってみんなで決定をしながらやっていこうというよりも、それぞれの人が思い付いてやりたいと思ったこと、自分の想いや情熱から動き始められることを、それぞれでどんどんやっていこう!となりました。 うん、これからはそういう集い方、活動の仕方がそれぞれの人の可能性を最大限引き出し、コラボレーションの相乗効果も大きくしてくれるはず。居心地がよく、安心して取り組んでいけて、かつインパクトも生み出せるチームの試みにもしたいと思っています。

そういうわけで、いくつも出たアイデアの中で、我が家が特にやりたいことだったり、もうすぐにでもやろうと思っていることをいくつか挙げると、 

  • 味噌づくり!(ほんとにとってもやりたい)
  • これからの社会づくりにインスピレーションをもらえる映画をみんなで観る
  • ポットラック(持ち寄り素敵ご飯会)で希望の語り合い
  • 日々の中で感じていることを聴き合う、共感ベースの時間
  • お産の大切さ、豊かさを言葉にして残していく、相互インタビュープロジェクト
  • 助産院のWEBサイト支援とブログ発信の助け(特に愛さんに対して)


他にもこんなアイデアたちが!

  • 助産院の駐車場で餅つき!
  • 助産院のガーデンで食べられる植物を育てよう!(edible garden)
  • 助産院に入るコンクリの道に素敵な絵を描く!
  • 助産院の壁にチョークで季節の絵を描く!(雨で流れる)
  • 中高生や未来のパパ・ママに、性や出産のことを伝える機会をつくる
  • お産の話ができる機会をつくる(お母さんたちの大きなエンパワーになる!)
  • 育児グッズなどの物々交換会
  • 子育て術のシェア会
  • 野口整体を学ぶ会


また、お産コミュニティ(というくくりで合っているかわからないけど)の大先輩で、敬愛する 助産師大好きなお母ちゃん・齋藤麻紀子さんが代表をされているUmiのいえさんの活動も参考にさせてもらおうと話しました。本当に素敵な活動をされているので、ご興味ある方はぜひご覧ください。

場をほどき、次の歩みへ

ちょうど小学校の出校日の土曜日で、お子さんのお迎え等がある方も半数いて、そこにもこのコミュニティの特徴を感じました。子どもたちと共に生きることを含みながら、進んでいくのだなぁ。

「また集まろう。それぞれやりたいようにやろう。そしてなにより、楽しくやろう」と話し、はじめりの集いの場はほどかれました。


こうして、このブログでも以前に思い描いていた助産院との取り組みが産声を上げ、小さくてもいいから楽しく豊かな“ベイビーステップ”を踏んで、歩き出そうとしています。まだ名前もないこの取り組みだけど、自分も関わりたい、自分も何かがしたいんだ、という方に対していつでもオープンに取り組んでいきたいと思っています。

助産院でお産をした方もそうでない方も。
お子さんがいる方もいない方も。
まずは大きく手を広げて、出産にまつわること、命にまつわることを大切に思う方々と、いろんな機会を起点に、語り合うことから、始めていきたいと思います。 

響くものがある方、ぜひご一緒しましょう。 

ウェルカム! 

この記事を書いた人

Seita
Seita
システムファシリテーター
株式会社musuhi 取締役COO / Chief Dialogue Officer
ひとつまみの希望 主宰
世界と変わるコトバ研究所(NVC インテグラル理論 U理論 つながりを取り戻すワーク システム理論 等を統合的に扱い「私から、世界と変わる」ための研究・実践活動)


東京生まれ。大学時代から環境問題に取り組み、社会人時代に15年続く環境NPOの代表理事を拝命。2011年に鹿児島に移住、対話・ファシリテーションを鹿児島のまちづくり・地域コミュニティの文脈に導入する事業に参画。2017年4月に合同会社むすひを共同創業、「対話を核に組織が文化から変容していく」組織変革プログラムを仲間と運用。現在は「協働の質を高め、チーム・組織の中での対立も扱えるコミュニケーション:NVC」のオンラインスクール・コミュニティ事業や、第一人者たちと日本での展開に取り組む。


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