ようこそ。
私と“対話”との出会いは、20歳。
千葉県の静かな森の中、ネイティブ・アメリカンの知恵と儀式と練り込まれたアクティビティで、「Faith 信頼」を心と身体を文字通りフルに使って学ぶキャンプ。群れで信頼を根底に暮らすオオカミたちに学ぶというコンセプトで、名前は“ウルフキャンプ”といった。マザーアース・エデュケーションの松木正さんと仲間たちが力強くそしてあたたかくホールドする、最近ではティール組織時代のリーダーシップを学ぶ場としても評価されているようなキャンプだ。
その中で私は、人生で最も象徴的に「他者との信頼」を感じる体験をする。
チームの仲間の痛みや弱さを含む本音が話されたときの、自分の中の切なく苦しいような、それでいて相手と本当につながれたような感覚。
そして自分も「こんなことを人に話していいんだろうか」と思うような、柔らかくて繊細な気持ちをグループを信頼して言葉にする。
その、それぞれの人が自分の心に向き合い、勇気を持ち、受容し合う中で、ああ本当に自分はここにいていいんだ、この人たちは本当に仲間なんだ、自分が生きられる場所があるんだ。そんな生まれて初めて感じるような大きな喜びを抱くことができる体験だった。
その原体験を抱き、私は学生の環境活動に打ち込んだ。
その中でファシリテーションというものに出会う。初めて学んだのは21歳のときの、青木将幸さんのファシリテーション講座。楽しく実りのある会議運営の仕方を知った。
活動の仲間と深い信頼関係を紡いでいくために、共有する時間であるミーティングの時間が楽しく意義のあるものであることはまず土台として必要だと思い、ファシリテーションにのめり込んだ。
私にとって、仲間たちとの間に平和と信頼を生み出すために大切なものだったから。
一人ひとりが力と可能性を持っていて、その一人ひとりから言葉とエネルギーが最大限の形で場に出されるよう促すこと、そしてそれをみんなが納得できる効果的な判断をして、みんなで取り組んでいく流れをつくる。
この上なく平和で世界を変えるような力も生み出していけるような、希望の道だった。
同時に、どうしても折り合いがつかない話し合い、人と人、集団というものにも出会った。どちらにも当人にとっては正しい主張があり、それが双方に未来のためを思ってのことでありながら、対立し、消耗し、心にしこりを残して袂を分かっていく。
きっと本当はつながれるはずなのに。そう思いながら状況を変えることが出来ず、悔しい、やるせない思いもした。
直接活動を共にしていない仲間や、合宿やキャンプの時間を共にできる仲間とは、深い信頼を感じられるような対話を生み出すことができた。それは自分にとっての心からの喜びだった。原体験であるウルフキャンプに流れる質感や松木さんに深く憧れ続けていた。
そこから先、私はありがたいことにファシリテーションを活かした仕事をいただくようになる。そうした仕事でも、どこかに所属して働くときも、どんな時でも私の中にはファシリテーションがあった。
奮闘を重ね、楽しく実りある時間をつくれたと感じられる仕事をいくつもさせてもらった。
そして、「好き」を仕事にする中で誰もが通る道なのか。少なくとも私は、思い返すと複雑な心持ちになる何年もの日々を重ねた。
生き方でもあると思っていたファシリテーションがお金をもらう手段になり、相手や事柄によってもらえる報酬の大きさが違うことや、それが必ずしも自分がエネルギーを注いだ量と比例しないことを心の中で感じた。
ファシリテーションをする場にいる一人ひとりに対して、この人は協力的、この人はわかってる、この人は話が長い、この人は怖い、この人はよくわからない、などジャッジをしているのに気づいた。
条件が難しい機会を持つときには、生き地獄のように苦しく、早くこの時間が終わらないかと思うこともあった。
思い返せば情けなく恥ずかしい。
慢心やおごりも生まれた。その裏側には、対話やファシリテーションとは何かを語れないといけない、答えを持っていないといけない。自分が持っているベストな方法でいい結果を生み出さないと。そうじゃないと自分の生きる道をつくれない。そんな信念があった。
それは多くの望まない現実を生み出した。そして短くない期間、その方法しか知らなかった。
長い時を重ね
葛藤や、
新しい流れや学び、
出会いがあり、
時折やはり別れがあり、
時に硬直し、
時に豊かに心を開き、
弱さを語れたときには多くの場合思いもよらなかった未来が現れ
今、自分はまた前進をすることができているように思う。
例えば対話とはなにか、という問いがあったなら、それは一人ひとりが自分の言葉で大いに語ればいいのだと。
それが誰かの言葉を正確に言おうとしたものであればたぶんまた違う。そうではなくて、自分が体験したものとして、自分が感じたこととして、自分が持っている言葉で、表現をすること。
数十年という長大な時間と膨大な経験を持った目の前の人が、その感覚体系を通して感じたことは、本当にその人の中にしかない。
誰かが自分の内側を探求するように語るその言葉の価値は、自分の中で一気に大きくなった。
そして元々が言葉では表現し得ないくらい大きな情報量を持った“自分の見方”について語ろうとしているのだから、理解の歩みを進めるために何度も語り直していけばいいということ。
人になにかを伝えるときにも、自分は今の自分にとっての答えを持っていればいいし、それは唯一の答えでなくていい。
むしろ、相手の答えと響かせながら未だなかった新しい答えをそれぞれが見出だせたらいい。
お互いが同じ答えを持たなくてもいい。
語ることを通してそれぞれが自分に響く答えを手にし、それぞれが歩んでいけたらいい。
なにが正しいかではなく、語った先にどこに進んでいけるかが私には大事だ。
そんな風に思えるようになってから、人との関わりがまた変わり、そこから生まれるものが変わり、個人としてもチームとしてもできることが変わり、現実も変わり始めている。
だからこそ、自分の弱さ、見たくない部分に触れられている。
今は、この流れに大きな希望を感じている。
私にとってファシリテーションはアイデンティティだった。それは徐々に変遷し、今もなお変容の最中だ。
それでも、
私が人と話をして、その人の心の中にあってまだ言葉になっていなかったことを語る助けができたときは大きな喜びを感じる。
そのようなことを複数の人と共にし、そこで言葉にされたことを現実にしていくプロセスも私にとっては魅力的だ。
私と話をしていると安心して言葉にすることができる、と言ってくれる人もいる。
みんなで話すだけではまとまらず実行に移せなかったことが、私と一緒に話して前進することができたと話してくれる人もいる。
それらを私に感じさせ、可能にさせるのは、
この約14年の間、
私に希望を抱かせ、
時に苦しめ、
経済的な見返りをもたらし、
鉛を飲み込むような重たい気持ちにもさせ、
それでももう私とほぼ同体のようにいつもある、
長い間ファシリテーションと呼び、
今はもうなんと呼ぼうか模索しようと思っている、
これからも変わり続けていくであろう、
その何かだ。
私は学び続ける。
その中でも今特に光明を感じ、学び実践しているのは、
ナラティブ・アプローチ、
言葉にすること、
そして学ぶことの学びを深めより広く深く学んでいくこと。
新しいことを学び、それをアウトプットして自分のできることが増えていく快さに魅了されてもいる。
そして私が向かう先は変わらない。
あの原体験の平和と信頼が私の周りに多くあること。
そのために今日も新しいことを知り、学び、実践する。
鹿児島で、一年で最も“対話”について対話するにふさわしい日に、私と対話してみました。
初めて足を運ばなかった、第5回鹿児島未来170人会議の夜に。
今日までがんばり続けた何年来の仲間たちと、歩み続ける意志を持った素敵な方々への祝いを込めて。
そして、自分への餞としても。
また会いましょう。
この記事を書いた人
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システムファシリテーター
株式会社musuhi 取締役COO / Chief Dialogue Officer
ひとつまみの希望 主宰
世界と変わるコトバ研究所(NVC インテグラル理論 U理論 つながりを取り戻すワーク システム理論 等を統合的に扱い「私から、世界と変わる」ための研究・実践活動)
東京生まれ。大学時代から環境問題に取り組み、社会人時代に15年続く環境NPOの代表理事を拝命。2011年に鹿児島に移住、対話・ファシリテーションを鹿児島のまちづくり・地域コミュニティの文脈に導入する事業に参画。2017年4月に合同会社むすひを共同創業、「対話を核に組織が文化から変容していく」組織変革プログラムを仲間と運用。現在は「協働の質を高め、チーム・組織の中での対立も扱えるコミュニケーション:NVC」のオンラインスクール・コミュニティ事業や、第一人者たちと日本での展開に取り組む。
*少し詳しい自己紹介はこちらから。
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