子どもの心と共に在る

わたしには2歳半の息子がいる。

最近息子を見ていて、

「こんなにちいさくて、丸くて、やわらかいものが世界に存在するんだ。」

と、毎日感動する。


特に、おっぱいを飲みながら、気持ちよさそうにしている姿を見るとき


「もう、死んでもいい」
と思うくらいだ。



そんなふうに全身の細胞で喜びを感じられるようになったのは、ごくごく最近のことだ。


産後は赤ちゃんに会えた喜びがありつつも、どこか途方に暮れていた。
夜中も3時間毎の授乳。抱っこしても、授乳しても、おむつを変えても泣きやまない数時間。「あぁ、こんなときに親は子供を殺すことがあるんだなぁ。」と、死への道が見えた瞬間もあった。 疲れ果てていた。

ほんとうに赤ちゃんは予測のできない未知の存在だった。


それに、なにより辛かったのは、赤ちゃんのために自分のニーズ(そのとき必要としていること。休息や自由や選択など)をいつだって手放さなければならなかったことだ。


そのことをいつもどこかで受け入れられなかった。
私の一部が、「こんなはずでは、、」と言っていた。


その感覚が、ある出来事をきっかけに少しずつ変化した。



今年の春、息子を保育園に預けることにした。 
自分のやりたいことをするためだった。


登園初日の彼は、いつもどおりだったが、別れなければならないと悟った瞬間、私の胸にひっしとしがみつき、顔を埋めた。

彼の不安が伝わってきた。その必死さが、とても辛かった。

2年半、産まれてからこの瞬間まで、ほとんど一緒だった。心が引き裂かれそうだった。

一緒にいたい気持ちと、やりたいことへ進みたい気持ち。
そして抱きついた彼の身体の固さから伝わってくる混乱。

苦しい選択だった。

保育士さんに「どうかよろしくお願いします。」と、託して。その場を去った。


扉を出てからは、同じく子供を預けたお母さんと、心の内を分かちあった。その後も園の前から動けなかった。彼のことが心配だった。

結局、30分で園に戻った。



保育室へ入ると、すぐに息子を見つけた。彼は保育士さんと向かい合って絵本を読んでもらっている。 

「良かった、泣いてない。。」ほっとした。

その後もしばらく遠くから見ていた。
おへその絵本だった。ストーリーに合わせて保育士さんが彼の服をめくり、おへそをちょん。と、する。

すると、一瞬、泣きそうになった。

すぐに堪えて元の顔に戻る。

よくよく見てみると、息子は真顔だった。触れられるたび、一瞬顔が崩壊し、すぐに戻る、をくり返す。


彼は絵本を見ているようで、何も見ていなかった。


それが分かった瞬間、走って彼を抱きしめた。




人は幼少期に傷ついた経験から、「自分は愛されない人間だ」とか、「自分には価値がない」等、生きていくための信念を無意識に作り出す。

そして、大人になってからも、その信念に沿ったストーリーを創り出していく。何か傷つくことがあったとき、「ほらね、僕は愛されない人間だから。」と、ほとんど無意識に、そのストーリーのアップグレードを繰り返していく。


彼はいま、この環境で生きていくために、自分の感情を殺して、絵本を見ているふりをしている。


彼の脳が生きていくための信念を作り出そうとしている。


わたしにはそう見えて、恐かった。



母に抱きしめられた彼は、叫ぶように泣いた。目と鼻と皮膚から水分をダバダバ出し、顔はくちゃくちゃだった。
わたしも、心で泣いた。

彼がとれだけ寂しくて、恐くて、途方にくれていただろう。



私がその場所で求めていたのは、
「お母さんがいなくて、寂しいね。。」
と言って、彼を抱きしめてあげてくれる存在だった。

どうか、泣かせてあげてほしかった。

だれか一人でも、彼の心と共に在ってほしかった。



保育園に預けてみて、

彼のことがどれだけ大切か。

そして、彼の微細な心の動きを見ようとすることを。

自分はとても大切にしているのだ。ということに、気付いたのだった。




私は1日で退園を決めた。

「彼の内側を見れるのは、自分しかいない。」

腹が決まった瞬間だった。

清々しい気持ちだった。




自分のやりたいことは、子育ての合間や、夫に協力を求めてやることにした。


それでもサポートは必要だし、いろんな人と関わることで息子や私に発見があると思うので(関わる大人にも!)、気軽に息子を頼めるような、女性達のコミュニティをつくりたい。と思うようになった。

子育てに葛藤するお母さんたちのためにも。

自分が思っても見なかったわくわくする解決策が生まれた。  


ニーズを手放さなくてはならなくて、こんなはずでは。。と嘆いていた私の一部は、少しずつ形を変えて今も共存している。

たまにそれが現れると「よし、夫に甘えよう。」
と思える、かわいいテトのような存在である。



彼が、真の自分を生きられるようにそっと導くことは、わたしの天命だ。


その意図とつながったときから、


日々の難しい選択と葛藤の波も、以前より力強く乗り越えられるようになったように思う。


そしてその意図は、全てのお母さんが必ずどこかに持っている、
無償の愛
というものなんじゃないだろうか。


そう思うと、世界中のお母さんたちに感謝とお祝いの花束を渡してまわりたくなる。


そして、

世界がずいぶん、鮮やかに見えるのだった。

咲子

この記事を書いた人

Sakiko
Sakiko
ひとつまみの希望 主宰 oiwai.life

1990年、鹿児島・薩摩川内市生まれ。高校卒業後、リラクゼーションサロンに勤務。ボディケアを提供するなかで「こんなにも多くの人が疲れているのはなぜだろう?」「人の根源的な癒しは、どうやったら起こるのだろう?」という問いを抱く。

6年間勤めた後「食・暮らし・コミュニティ・社会のシステム」が人に与える影響の探求をはじめ、「人と人とのつながりを大切にする対話法・NVC(非暴力コミュニケーション)」と出会う。
その学びの中で、先住民の叡智をくんだ「 “女性のための集い”・ウーマンズサークル」で起きた癒しとエンパワーに可能性を感じ、霧島市でウーマンズサークルをひらく。

学びの活動は夫婦で共にし、
1週間規模のNVC合宿にも複数携わる。その他、食や暮らしにまつわるワークショップを主催している。

現在、霧島・小浜にある古民家を改修し、「星の家」と名付け、ワークショップの企画や、対話の場、NVCのワークショップを開催している。


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