「親とどう共にあれるか」というストーリーが大きく変わり始めている

ようこそ。

ようやく鹿児島に帰ってきました。ただいま!

同時に濃厚で充実していた東京滞在と母と過ごす時間が終わり。今まで以上に対話をし、今まで以上に心を開いて共にいることができた感覚もあり、今回の別れはまた今まで以上に寂しさや、柔らかい感情を胸に生んでいる。

もちろん、引き続き引越しプロジェクトの支援をしていくけれど、物理的な空間を共にする時間は特別だ。

数年前の自分だったら、母とより良い関係性の中にいたい、母のことが好きだし、大事な存在なんだ、と思いながら、そんなことは到底直接は言えなかった。

母がPCのことについて質問してくればイライラするし、母が忘れ物をして「あっ!」と焦ったり、物事を整理できていないように感じるときにはやっぱり苛立っていた。反応しまくりだった。

今でも反応することはあるけど、そのことに気づくことが出来て、その反応のままにいない選択を、普通にできることもあれば、なんとかやれることもある。もちろん反応のままに言葉を出してしまうこともある。

けれど、数年前と比較したら大きな前進をしているのは確か。本当に良かった。

父とも、人生のインタビューを通して今までとは異なるつながりの質になってきていることが大きなお祝い。

両親が亡くなるまでに、より近い関係性、豊かな人生をともに出来るようになることを願っていたけど、思っていた以上に早くそうしたフェーズに入れて、本当に嬉しい。

こうして両親とのことを考え、綴っていると、「親と居ることに心を許していては、甘えていては、生きていけないのだぞ」というような、そんなストーリーが、普段から顔を出しているわけではないけど、存在していることに気づく。

そして、親とは関係性が難しいのが普通で、亡くなってから悔やむ、というストーリーが多く存在していることにも気づく。

自分にとってそれは、主には、テレビの影響だと思う。どんな情報やストーリーに触れているかが、自分の中に内包するストーリーを本当に形作っていくんだなとあらためて確認できたこと。

そして、今自分が体験しているように、親とのあり方の“異なるストーリー”、親とウェットに関わりたい、大切にしていることを語り合いたい、生涯を通して豊かな人生を分かち合いたい、というのも、本当は自然な感覚なのだと思うようになった。

自然界では、親とずっと一緒にいては、親が足を引っ張るようになってしまって、親子の両方が生きていけないから、自立していくということがあると思うし、それは子孫を残すためだと思える。

人間は、つながりを作ることで、協力することで繁栄してきた種。

だから、「親とどう共にあれるか」も、私たちが新しく発明していけばいいのだと思うんだ。

Photo by M L on Unsplash
オオカミはとても社会的で、家族や群れを大切にし、高いチームワークで狩りを成功させ、生きていく。

Reinvent ourselves again and again.

また会いましょう。

この記事を書いた人

Seita
Seita
システムファシリテーター
株式会社musuhi 取締役COO / Chief Dialogue Officer
ひとつまみの希望 主宰
世界と変わるコトバ研究所(NVC インテグラル理論 U理論 つながりを取り戻すワーク システム理論 等を統合的に扱い「私から、世界と変わる」ための研究・実践活動)


東京生まれ。大学時代から環境問題に取り組み、社会人時代に15年続く環境NPOの代表理事を拝命。2011年に鹿児島に移住、対話・ファシリテーションを鹿児島のまちづくり・地域コミュニティの文脈に導入する事業に参画。2017年4月に合同会社むすひを共同創業、「対話を核に組織が文化から変容していく」組織変革プログラムを仲間と運用。現在は「協働の質を高め、チーム・組織の中での対立も扱えるコミュニケーション:NVC」のオンラインスクール・コミュニティ事業や、第一人者たちと日本での展開に取り組む。


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