“人生の語り”を書き紡いでいく。まずは父と試みを始めることができた。

ようこそ。

今日のは長めだし、自分のためのまとめとして書いている要素が大きいため、妻には「・・・また今度時間あるときに読むね。」と言われそうですが・・・ですが妻も早速読んでくれたそうです!

私が今心惹かれている、人生を通してやっていきたいと思っていることの一つに、「人生の語りを書き紡ぎ、残していく」があります。

「聞き書き」という取り組みとしても存在しているものだと思いますが、私が今構想しているのは、そのインタビューの中でナラティブ・アプローチのあり方・問いかけを持ち、その人の人生をより豊かに語ってもらうこと。自身の人生について、より肯定的に捉え、今の自分とのつながりを見出し、今の自分自身をより力強く、自分の人生をイキイキと生きている存在として捉えられる。そんなプロセスをご一緒すること。

そしてそれを文章としても残し、人生の書として、ご自身や、ご家族など大切な方々にも読んでいただけるものにすること。

この着想に出会えたのは、鹿児島で有機農業の流れを生み出し、全国で2番目の有機農業先進地へと培った多くの先達に触れ、これまでの40年ほどの歴史のあまりの貴重さと、同時に彼らが高齢であり、そしてまだまだ自分の理想には遠いと感じている方のことを思っていたところから。

そこに、私がブログを書くということと、ナラティブ・アプローチの学びが重なり、やってみたいと閃いたことでした。

今、思い描いていること

人生を、それが社会的に良かったかどうか、成功していたのかどうか、褒められたものなのかどうか、というところから離れて、自分の感覚を基準に語ってもらう。

ときに「今までに自分の人生についてこんな語りをしたことはなかった」という体験を伴いながら語っていってもらい、人生の出来事、そして“語り”の収録として、文章にしていく。

それは、相手の言葉だけれど、相手の中にあったものと、それだけではなく、聞き手との豊かな、安心できる関係性の中だからこそ言葉にできることも語られる。

人は、誰と共にいるかでその在りようも、語る言葉も変わるから。

そして、語りを誘われる質問だから語られることもある。さらにその過程で、聞き手の人生や蓄積してきたこととも響き合い、そこにしかない語り合いが生まれる。

それは、人生の中の事実というだけでなく、そのことへの、肯定的な意味づけをしていくことだ。そして、人生の語りの目撃者としての聞き手が語ることもまた語り手に還元されていく。

それができた時、自分の人生を改めて肯定的にみることができ、どの出来事も自分にとって大切で、あってくれて本当に良かったと思える出来事になっていく。

それを背景に、自分のこれからのことを新しい自分として思い描くことができる。これまでよりももっと確かな自分として、これからの自分のもっと別のもっと願うような可能性を思い描いていくことができる。

思い描くことができたその可能性の中、自分はこれから生きていくことができる。

そんなことを構想している。

人生の語りなので、200ページにも渡るものになるかもしれない。インタビューだけでも長大な時間がかかることだろう。この編纂だけでも、数ヶ月かかるかもしれない。

その数ヶ月を通して、語り手も聴き手も、そして読み手も大きく変わっていく。それも、肯定的な方向に変わっていく可能性を秘めていると思う。

そんな、尊い数ヶ月を共にさせてもらう営み。

それは、古くは絵描きに自画像を描いてもらうということだったかもしれない。あるいは、伝記をかいてもらうこと。あるいは、その人をテーマにした戯曲や音楽をかいてもらうこと。

その、今ある新しい形として、肯定的な語りを通しての、その人の人生を語り残すという、描き方。

そして、家族全員がこうした記録を残し、そしてそれを更新し続けていく先に、その家族とその子孫の「一族の書」が紡がれていくことにもなるだろう。

(それは、ブログを、自分のドキュメンタリーとして書き残していくことを通してできることでもある。家族で、代々、自分のドキュメンタリーとしてのブログを残していくことで、子孫たちにも、親や祖父母やそれ以上昔の祖先がどんなことを感じていたかを知ることができる。

現代でも、手記が残されていたらそれに近いことだろうが、以前の、貴重なものである紙に、限られた時間で書き残していくというやり方よりもより効率的に、写真や映像も添えて残すことができ、しかもインターネット上に色あせることない形で残せる時代になっている今、ますますその「一族の書」を多様な形で残すことができる時代になっている。

この人生を肯定的な語りで残していく営みが、その起点にもなっていくと思い描いている。)

この営みは、多くの人が求めるものになるだろう。そうなったときに、その聞き手、そして書き手はたくさん必要になる。

それは、自分の実体験をもとに、人という存在について自分なりの方法で言葉にする訓練をした人たちができることだろう。自分の人生を、自分がやりたいことをすることを通して作っていきたいと思っている若い人たちが多い中で、彼らの仕事を作っていくという意味でも、この着想とその実践をシェアしていくことは重要なことだと思っている。

父と試み始める

そして今日、その第一歩として私は父とこの試みを始めた。実の父とのこのプロセスは、他の方と試みるのとはまた異なる性質を持つと感じるけれど、大切なことは変わらない。

そうして2時間半ほど父の話を聴き、記録に残していく中で、この営みが生み出すことの価値をあらためて確認した。

父が今までの父とは別の人に感じられるし、その「別の人」という感覚は、間違いなくより好意的で、尊敬でき、もっと知りたいと感じられる存在に変わったのだ。

なぜこれまでにもっと父からたくさんのことを学ぶ機会をつくらなかったのだろう?と不思議に思うくらい、今の父の話は私の中にすっと入ってくるのだった。

今の自分の感覚体系、状態だからこそ入ってくるというのはもちろんあるけれど、もしもこの機会をつくらなかったらこの尊い営みが起こらなかったと思うと、このことを構想し、やってみようと踏み出して本当に良かったと思う。

おそらく、父は私より先に亡くなる。そのときに、今日に始まるこの父を知っていくプロセスがあるのとないのでは、亡くなるときの感覚は大きく異なるだろう。まだ想像もしたくないことだけど、父の話を聞く中でふとそう思ったのだ。

今日父から聞くことが出来たのは、まだまだごく一部。今日の内容を文字にして、父に確認してもらい、次にはもっとこのあたりを語りたい、というところに進んでいこうと思う。同時にそのプロセスを母や兄とも共有して、家族としてもこのことを分かち合っていきたい。

今日は直接話しを聞くことが出来たが、今後はオンラインがベースになりそうだ。父がちょうどiPad miniを購入していたおかげで、このことをスムーズに進めることができる。テクノロジーの前進にも支えられ、人と人との関わりの豊かさを探求する試みを続けてみようと思う。

これから

まだ粗々ですが、自分にとって重要で、新鮮なうちに分かち合いたい着想・構想であるため、このことに関心を持ってくださる方と響かせながら思いもよらない可能性も含めて前進していけるよう、ここに置いておきます。

私から、この試みをご一緒してみませんか、とお声掛けすることもあるかもしれません。

人生の中で大切にされていることと響けば、ぜひご一緒しましょう。

長くまだ粗い文章、ここまで読んでいただきありがとうございました。

また会いましょう。

この記事を書いた人

Seita
Seita
システムファシリテーター
株式会社musuhi 取締役COO / Chief Dialogue Officer
ひとつまみの希望 主宰
世界と変わるコトバ研究所(NVC インテグラル理論 U理論 つながりを取り戻すワーク システム理論 等を統合的に扱い「私から、世界と変わる」ための研究・実践活動)


東京生まれ。大学時代から環境問題に取り組み、社会人時代に15年続く環境NPOの代表理事を拝命。2011年に鹿児島に移住、対話・ファシリテーションを鹿児島のまちづくり・地域コミュニティの文脈に導入する事業に参画。2017年4月に合同会社むすひを共同創業、「対話を核に組織が文化から変容していく」組織変革プログラムを仲間と運用。現在は「協働の質を高め、チーム・組織の中での対立も扱えるコミュニケーション:NVC」のオンラインスクール・コミュニティ事業や、第一人者たちと日本での展開に取り組む。


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