半年間で15冊のノートを「書籍・メモの魔力」方式で書き続け、言語化、記憶、整理が強くなった。能力向上は“続けられる世界”にもつながると思ってる。

ようこそ!

2019年に入ってブログを始め、「屋久島“つながる”リトリート」「地球の声を聴くワークショップ」「NVC “Being” Program」「国際オーガニック映画祭 in KAGOSHIMA 2019」のWEB制作をして、ライターのお仕事もいただけるようになったこの8ヶ月。

「言語化」や、言葉を扱うこと、が大きなテーマになっていって、自分がこれまでの人生で体験してきたことがここにどっとつながってきたような感覚を持っている。

それはとってもとっても嬉しいこと。

ここに、大きく貢献している習慣、取り組み方が、
“メモの魔力”というノートの取り方をベースに、
人と話しているときや、自分のアイデアを書くとき、自分の振り返りをするときに、
じゃんじゃんノートに書き込んでいること。

このノートの取り方を始めてから半年が経ち、現在ノートはこれくらい。

半年間で15冊。壮観!

“メモ魔”をしてみての実感

以前の自分のメモは多くは、速いタイピング(親指シフト)で随時記録を取る形だったから、以前までの記録量はパッとわからないが、こうしてノートに書く方法を取ってみると、どれくらい自分がメモを取ったのかが一目でわかり、自分の日々の営みを実感できる。

ノートをたくさん取っていること自体が偉いわけでも、それでなにか成果に直接つながるわけではないけど、ここに確かにあることが、自分への肯定を高め、自分の言葉に力を持たせてくれる感覚もある。

自分が考えたり、自分を通してアウトプットされたものの物理的な量だから、何かの記録を取ったり、人の話をメモするであっても、自分自身の脳を通して書いている。

一字一句書いていないとすれば、それは自分の中で要約をしたり、言葉を選び直したりしていることであって、やはり自分のアウトプットになっている。

人と話しながら、それくらいアウトプットをし続けているということ。

“メモの魔力”の特徴

このノートの取り方のポイントは、見開きでノートの左側と右側に異なる役割を持たせていること。

(遠目の写真でごめんなさい・・・)

左側が左脳領域、右側が右脳領域になっている。

ノートの左側は、聞いた話や思ったことのそのままの記録といった“ファクト”を書いていく。

ノート右側は、さらに左右に分かれ、左半分は「ノート左側の“ファクト”から抽象化した考えや気づき、情報」を書く。右半分は、「その抽象化した発想、気付きは何に転用できるか」という、具体的な次にどう生かすかまでを書く。

ノート左側の「ファクトを捉える」という時点で、以前よりも例えば人の話を聞いている時に、話している人や内容への注意を向け続ける集中力が高まり、受け取れる情報の割合が高まっている。

著者はこれを「情報の伝導率」と表現しているが、相手から自分への情報の流れからどれだけ情報のロスを少なくできるか、という感覚でもある。

ノートを見返して情報を参照することにも役立つし、そもそも自分自身の記憶力の向上にも役立っている。

話を聴いて「頭に入った」と“思っている”ことと、話を聴いて実際に手を動かして記録をとることには、脳の活動としても大きな違いがある。

脳の性質として、運動(手を動かして文字をノートに書く、という動きも“運動”)が入ると、「このことは自分にとって重要なんだ」と脳が認識し、より記憶に残りやすくなる性質がある。それを活用できることになるわけだ。

ノート右側の「抽象化する」という部分も秀逸で、記録をとった内容について、無理矢理にでも抽象化していくことで、具体的な事柄から普遍的な気づきを発見したり、自分の知恵、他の事柄にまつわる知恵との結びつきのインスピレーションが生まれる。

「抽象度の高い情報を扱えること」

人が提供できる価値には大きく分けると二つあると思っていて、

一つは「必要とされることに応えていくこと」「誰かが必要としていることで、まだ具体化されていないことを具体化すること」。

抽象度の高い部分(アイデアや構想)を誰かが持っていて、「そこにリソースを投入して、それが現実にある状態を作る」という価値の提供の仕方。

そしてもう一つは、抽象度の高い情報を生み出していくこと。先程の逆で、「まだ世の中にないけれど、それがあることで誰かの役に立ったり、何かの必要を満たすことができるようなアイデアを生み出していく」という価値の提供の仕方。

自分自身、前者の仕事の仕方をずっとやってきて、それを得意領域にしてきたけれど、この数年でその限界をとても感じていた。

資本主義経済の中でより価値が高い(お金になる可能性が高い、という意味)のは、この後者の方で、「抽象度の高い情報を生み出す」こと。

目に見えたり、手に触れることはできないし、だからこそその価値を認識されづらいのだけど、物理的な現象としてのプロダクトやイベントなどは、そもそも元の発想になる情報(アイデアや構想)がなければ、物理世界に現れることはできない。

どちらが偉いということでもないし、仕事に貴賎はないけど、自分がその後者の方の営みを大事だと思っているのには、

自分自身が「社会変革の活動」や、「人と人とが関わる組織がより良い状態になることを願う活動」をする中で、「目の前にある問題を端から解決していく方法」では、その問題自体は解決しないのだということが骨身に染みていて、

「そもそもどういう状態を作りたいと思っているのか」というアイデアやイメージを作ることに、解決の根源的な力がある

ように感じていることが大きい。

そういうわけで、このノートの取り方を始めて、
情報を抽象化し、それを何に転用することができるかを考える習慣が強くなっていることは、
自分が扱う領域、仕事に出来る領域が、より抽象度の高い領域へと範囲が広がることに繋がっている。

これは、とてもとても大きな収穫。

ノートの取り方自体はさまざまあるし、どんな方法でもいいと思うけれど、
「ファクトを捉える」こと、
「抽象度の高い情報を扱う」こと、
「では具体的にはどうするかを考える」こと
の三つがあることは、このノートの取り方のとても優れた点だと思う。

私がこうして書いている以上の熱量と、このノートのとり方の根底にある考え方、そして、このノートの取り方をした時のメリットをより解像度高く、書籍には書いてある。とってもオススメします。

検索性を高めるための模索・iPadで撮影と純正メモ活用

ノートに手書きで書く場合、後から検索することができないため、情報を発掘することには難点が残るけれど、それを補って余りあるメリットを感じ、この方法を取っている。

後から見返すことにも、このノートの取り方の大事な効能が込められている。後から見た時に違うことを思いつく可能性も高く、それが着想を生むのであれば大きな価値になる。

その上でも、特定のプロジェクトについてのミーティングを重ねている場合など、一か所に情報があった方が便利な場合や後から参照することが多い場合には、iPadで写真を撮ってそちらで情報をまとめて見れるようにする試みをしているところ。

複雑な方法ではないけど、こちらの情報がわかりやすかった。

Ipadの純正メモアプリでスクラップブックを作る –http://assetsjin.com/ipadpro-scrapbook/

“続けられる世界”とノート

私がメモを取っているのを見たら、「あ、あれをやってるんだな~」とあたたかく見守ってもらえたら嬉しいです。

地球温暖化からの気候変動、今では「気候危機」といわれるくらいの状態の中、
“続けられる世界”を考え、つくっていくためには、
果てしなく複雑な地球システムと、それ以上に複雑かもしれない人間社会、そしてひとりひとりの内側の世界を扱っていく“賢さ”と、
その複雑さの中で影響を受け、そして影響を与える一つの生命としての自分を俯瞰する“謙虚さ”が必要だと思っていて、
こうしたノートの取り方も、そこにつながる一つの方法なのではないかと思い、日々書き続けてみています。

それでは、また。

この記事を書いた人

Seita
Seita
システムファシリテーター
株式会社musuhi 取締役COO / Chief Dialogue Officer
ひとつまみの希望 主宰
世界と変わるコトバ研究所(NVC インテグラル理論 U理論 つながりを取り戻すワーク システム理論 等を統合的に扱い「私から、世界と変わる」ための研究・実践活動)


東京生まれ。大学時代から環境問題に取り組み、社会人時代に15年続く環境NPOの代表理事を拝命。2011年に鹿児島に移住、対話・ファシリテーションを鹿児島のまちづくり・地域コミュニティの文脈に導入する事業に参画。2017年4月に合同会社むすひを共同創業、「対話を核に組織が文化から変容していく」組織変革プログラムを仲間と運用。現在は「協働の質を高め、チーム・組織の中での対立も扱えるコミュニケーション:NVC」のオンラインスクール・コミュニティ事業や、第一人者たちと日本での展開に取り組む。


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