鬼滅の刃を通して子どもたちへ受け継がれていること・前編

最近流行っているアニメ・「鬼滅の刃」について。
わたしのまわりでは、4歳の子も見ているし、映画館に観に行ったときは、70代くらいの年配の方までいた。
映画館から出てきたおばあちゃんが、「良いこと言うわよねぇ〜」と、ほわっと笑っていて、嬉しかった。

ヒットするアニメは、わたしたちの集合的な意識から現れたもので、
現代のわたしたちにとって、大切なメッセージが込められている。

見る人で、感じること、考えること、受け取るメッセージが違うと思うのだけれど、
今日は、わたしの世界から見た、鬼滅の刃について。

鬼滅の魅力のひとつは、多様なキャラクター(人間だけでなく、鬼も含めた)と、
キャラクターひとりひとりの、背景。

鬼滅の世界では、主人公達が鬼を斬るけれど、
昔のアニメのように、主人公と鬼が「善と悪」という分かりやすいかたちで描かれてはいない。
鬼は、元は人間だった存在。

「なぜ、そのひとは、鬼になったのか」

主人公たち人間だけでなく、
鬼の、人間だった頃の記憶・トラウマ・影の部分に光をあてていて、心理描写が丁寧に描かれている。

主人公をはじめ、キャラクター達に大切な人を失った過去があり、鬼を含めて、みんなに心の傷がある。

そして、(全ての鬼ではないけれど、)鬼が、主人公と対峙することで、自分の心の痛みに気づき、ときに、自分が家族や恋人に愛され、守られていたことに気がつき、死んでいく。
ひとりひとりのキャラクターの、人生の描写に、作者のやさしい眼差しや、願いを感じる。

鬼滅の、多様で素敵なキャラクター達の中で、わたしが好きなのは、主人公の炭治郎。

炭治郎は、「慈悲」の人だと思う。

人間を食す鬼を、大切な人達を守るために、躊躇いなく斬る。
けれど、死んでいく鬼の手を握ったり、背中に手を添えたこともあった。
炭治郎はいつも、自分が斬った鬼を、あたたかく、かなしい眼差しで見つめている。

映画でも、自分を攻撃した相手に対して、
「俺が死んだら、あの人が人殺しになってしまう」
と言うシーンがある。
以前のアニメのヒーローだったら、死ねない理由は、“ 相手を倒すため ”だった。
それが、炭治郎の場合は、自分を殺しにかかってきた相手を「人殺しにしない」「相手を守る」ために、生きようとする。

そのシーンだけでも、彼の慈悲深さ、許しの力を感じて、泣けてくる・・。

彼と対峙する鬼は、闘っているうちに、自然と幼少期や、過去の痛みの体験とつながることがある。


無いことにしていた記憶とつながり、自分を取り戻して、死んでゆく。
彼の愛の力だなぁと思う。

(こんな受容力のある主人公、いまだかつていたかな・・と思ったら、作者さんは女性だった。なるほど、炭治郎の愛は、女性的だなぁと思う)

鬼滅の世界は、鬼と闘って亡くなる仲間も多い。
その度に悲しくなるのだけれど、同時に、そこにある「大切な人達に、幸せに生きてほしい」という願いや、強い意志は普遍的で、人から人へと、バトンのように次の世代へ受け継がれていく。

映画では、煉獄さんが大切なことを次の世代へ渡して、短い人生を終えていく。

鬼にならないか、という提案に対して彼は、
「老いることも、死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさ。
強さというものは、肉体に対してのみ使う言葉ではない」と言う。

現実を受けとめられない人が、自ら鬼になることがある。
鬼になると、永遠の命は得られるけれど、太陽のエネルギーを浴びることはできない。
地球の恵をいただくこともない。

だれかと気持ちを分かち合うこともない。
自然とも、人間とも、切り離された孤独な存在。
「死」がないということは、「生」もないということ。
そこに、生命の喜びはない。
鬼になった時点で、ある意味、死んでいる。

煉獄さんは、「炎の呼吸」の使い手。
呼吸の名前のとおり、つねに燃えている。(心がメラメラと)

正義感が強く、若い世代を大切にする教育者。

誰一人として死なせず、守り抜いた。

上弦の月との闘いや、幼少期の母親とのやりとりから、「自分の力や、天から預けられた才を、自分のためだけではなく、他者のために使っていく」、「守りたいものを守り抜く」という、煉獄家に受け継がれる精神や、彼自身の丹力を感じた。ほんとうにかっこよかった・・!

そして、彼の在り方は、炭治郎や、若い世代の心に火をつける。

煉獄さんの散り際は、悲しかったけれど、とてもうつくしかった。気持ちがよかった。「生命を生ききった。やりきった」という感じ。


鬼滅で散っていく仲間たちは、(時折鬼たちも)亡くなってから、大切な人達のもとへ魂がかえっていく描写がされている。大切な人達が手を広げて待っていることもある。

だから、散り際がただ悲しいだけで終わらない。魂は永遠に続いていく。その人の願いも引き継がれていく。

願いは次世代へ引き継がれ、次の世界で光になることを知っている。

ストーリーが進んでいく事に、たくさんの人が亡くなるけれど、その人の物語は、「そのときの世界」だけで完結していない。

煉獄さんが、若い世代へ意志を引き継ぎ、若い世代=未来を信じたように。
縁壱さんの「日の呼吸」が400年かけて炭治郎に受け継がれたように。
先祖の願いは祈りとなって。


次の世代は意志を継いでいく。

この記事を書いた人

Sakiko
Sakiko
ひとつまみの希望 主宰 oiwai.life

1990年、鹿児島・薩摩川内市生まれ。高校卒業後、リラクゼーションサロンに勤務。ボディケアを提供するなかで「こんなにも多くの人が疲れているのはなぜだろう?」「人の根源的な癒しは、どうやったら起こるのだろう?」という問いを抱く。

6年間勤めた後「食・暮らし・コミュニティ・社会のシステム」が人に与える影響の探求をはじめ、「人と人とのつながりを大切にする対話法・NVC(非暴力コミュニケーション)」と出会う。
その学びの中で、先住民の叡智をくんだ「 “女性のための集い”・ウーマンズサークル」で起きた癒しとエンパワーに可能性を感じ、霧島市でウーマンズサークルをひらく。

学びの活動は夫婦で共にし、
1週間規模のNVC合宿にも複数携わる。その他、食や暮らしにまつわるワークショップを主催している。

現在、霧島・小浜にある古民家を改修し、「星の家」と名付け、ワークショップの企画や、対話の場、NVCのワークショップを開催している。


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