生命に触れて、生命に動かされて

メモを整理していたら、今年の2月に書いたものが出てきた。そのとき感じていたこと、書いていたことが、今の自分に大切なメッセージだと感じたので、少し加筆をして、ブログに載せておこうと思う。

先日友人から聞いた話。

友人と親しいネイティブ・アメリカンの男性に最近起こったことだ。

その男性は、身体が大きくて、全身入れ墨だらけで、一見近寄り難いのだけれど、繊細さと愛を持ち、友人にとってはかけがえのない友である。

彼は生活のためのお金を稼ぐために、養蜂をやり、蜂蜜を売っている。

ところが最近、ミツバチの2/3が死んでしまった。
 
真冬に、とてもあたたかくなった日があり、蜂たちは勘違いして冬眠から目覚めてしまった。

しかし数日後には急激に寒くなったため、蜂たちは凍死してしまったのだ。

彼の手元には、季節はずれの蜂蜜が取れてしまった・・・。

わたしにとってこの話は、「気候変動」や「異常気象」のデータやニュースを見るよりも、とても手触りのある話だった。

共に暮らしていた蜂たちを失った彼の気持ちや、ネイティブ・アメリカンの彼がこれからも大切なことを大切にしながら経済的にもどう暮らしていくのか。また、未来になにを見ているのか。

わたしよりも遥かに自然と密接に暮らしている彼の瞳には何が映るのか…。

なぜか親しみを覚えている彼に起こったこの出来事は、わたしの意識のなかに鮮烈に刻みこまれた。

この話からわたしが思ったこと、

それは、「感じることを取り戻そう」ということだった。

なぜそう思ったのかは、わたしたちが生きる時代は天変地異が起こる可能性を十分に秘めていて、

だから、自分自身や家族の命を守るために自然の異変を読み取る力、野性の感というような「直観的な力を取り戻そう」という意味も含めている。が、それだけではない。

現代を生きる多くの人が日々の暮らしから喜びや幸せを感じながらも、どこか安息しきれない、これでいいのだろうか、という満たされなさや息苦しさをどこかで感じているのではないだろうか。

社会や未来を思うときに湧き出てくる、恐れや孤立感や不安などの感情は、迷走するシステムに対する自然な反応のようにわたしは思っている。

わたしが学んでいるNVCでは、「絶望」「恐れ」「怒り」「孤独感」「憎しみ」あらゆる感情を自然なものとして、自分の内なるスペースへ歓迎する。そして一見ネガティブに見える、痛みの感情の奥には、全ての人が普遍的にもっている『切なる願い』があると考える。

そう世界を見てみると、自分自身の中にある「痛みを大切にすること」が、社会に大転換が起こるための“最初の扉 ”になるのではないだろうか…。

人生にほんとうに大切なものは何か。

健康とは。

真実とは。

痛みを抱きしめて、切なる願いや

自分自身の真実とつながること。

それは必ずしもひとりでやる必要はないし、ひとりでは取り組むのには、精神的にも体力的にも難しいように思う。

ほんの少し扉を空けてみて、痛みの大きさに打ちのめされてしまうか、再度扉を閉めて強固に固め、鍵をかけて日々の生活に戻らざるを得ないのではないだろうか。

痛みを抱きしめるには、コミュニティの力が必要だ。

真実を語り、聴きあうことで、自分自身や、互いへの理解を深めあう。

そうすることで、かけがえのないつながりが生まれる。

その安心できるつながりの中から、ほんとうの充足や安心や歓びを取り戻し、必要な仕事(ミッション)をしようという気持ちが、自然と湧きでてくる。

そんな気がしている。

痛みの奥には、コミュニティや社会にとって、出されたがっている声がある。大切な、その人にしか出すことのできない

唯一無二の地球の声の響きだ。

その声が出せれるのを生きとし行けるものたちや未来の存在は待っている。

そしてなにより、強烈な恐れがありながらも、自分自身の生命に触れ、生命の流れに動かされたいと、

自分自身の生命が、最も願っているのではないだろうか。

この記事を書いた人

Sakiko
Sakiko
ひとつまみの希望 主宰 oiwai.life
Mother ship 主宰


ひとりひとりが生命の源とつながり、力を取り戻すための学びをシェア、企画している。
2018年から霧島市でNVCの学びを軸としたウーマンズサークル(女性のための集い)を開催。3歳の息子の母。

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