身体のちいさな偉大な先生

今月長野で開催されたNVC Being プログラムに、子どもを含めることに特化したアシスタントとして参加した。

NVC “Being” Program

NVC “Being” Program 自分・組織・世界が変容する”鍵”をもたらす7日間。”変化のために今をまるごと受け入れる” あり方・器・リーダーシップ開発。2019. 7/10-16@女神山ライフセンター(長野県)トレーナー:安納献、鈴木重子、小笠原春野、ソーヤー海 アシスタント:石川世太、江頭桜子、高橋雄也、畑中みどり、石川咲子

セッションのほとんどの時間を子供たちと過ごしていたおかげで、あらためて子供という存在から学ぶことや気づくことがあり、自分のためにも言葉にしておこうと思う。

まず最初に、2、3歳の子供たちと接して思ったことは「これは共感の練習だ!」ということだった。(NVCの合宿だしね)

彼らと意志の疎通をしたいと思っても、彼らは言語で表すことができないぶん、こちらから意志を読み取るのに、言葉の部分ではなく、彼らの目や、身体から発するエネルギーを感じながら、彼らの内側で何が起こっているのかを見ようとする必要があった。(動物と接するのに少し似ている)

それは、言語を話す大人へ共感するときも全く同じだ。言語にフォーカスするのではなく、その人の内側で何が起こっているのかを見ようとする。

また、自分自身の内側で何が起こっているのかを感じ、見ようとするのとも同じだ。

とても微細な、震える生命の動きを見ようとする。
畏怖の念と好奇心を抱きながら、勇気を出して海の中で何が起こっているのかを見ようとするのに似ている。

そうして彼らの内へ意識を向けていると、少しずつ、少しずつ、彼らとの意思の疎通が楽になり、互いのこころがひらかれてゆく。それは大人同士の関係性や、自分との関係性でも当てはまる気がする。

子供たちは、自分が笑いたい時に笑い、悲しいときには全身で泣く。

子供たちは自分の快・不快の感覚そのままに生きている。全く自然な存在。
大人のように「こうあるべき」や「善悪」という価値判断のもと生きてはいない。
彼らが悲しかったり、悔しかったりして嘆くとき、ときにわたしの耳がキーーンとなり身体的にきつくなるくらいのレベルで、子供たちはその瞬間のフルのエネルギーを使って嘆ききる。

慰めることや気を紛らわせるようなことはせず、静かに見守っていると、いつのまにか嘆きのエネルギーを解放しきった彼らは、瞬時に次の興味へと移り、歌を歌い出す。

大人はたくさんの時間をかけて、ときにはワークをして、自分の嘆きと向き合うのにも関わらず、子供たちはとてもシンプル。

2、3歳の子供たちは「時間」という概念のもと生きていない。

瞬間瞬間のいのちの動きしか存在しない。
最終日、子供たちと歌いながら森を歩いた。虫や木々や空がわたしたちの歌を聴いていた。時間と空間を超えたところにいるようだった。とても静かで、内なる歓びが溢れる時間だった。

また、印象に残っていることのひとつとして、2歳の女の子がわたしのことを「おかあさん」と呼んでいた。

わたしを信頼し、ゆだねてくれていることが分かっていた。わたしはその子から「Mother Earthを、世界を信頼して、ゆだねて」と言われた気がした。

「おかあさん」と呼ぶのはきっと、晴くん(息子)のお母さんという意味なのだろうが、本来血の繋がったお母さんだけではなく、大人全員がこの子の「おかあさん」なのだろう、とも思った。

そうやってこの世界の大人たちが、あらゆる子供たちを、自分の愛しい子供として見守ることができたら、どんな世界になるだろう。

子供たちは、いのちそのものの、全く自然な存在。
全体で生きるための調和の大切さを教える必要はあっても、子供たちはちっぽけな、なにもできない、力のない存在というわけではない。

子供たちは、大切なことを思い出させてくれる先生であり、見ているだけでこころが震える、マジカルな存在だ。

この記事を書いた人

Sakiko
Sakiko
ひとつまみの希望 主宰 oiwai.life
Mother ship 主宰


ひとりひとりが生命の源とつながり、力を取り戻すための学びをシェア、企画している。
2018年から霧島市でNVCの学びを軸としたウーマンズサークル(女性のための集い)を開催。3歳の息子の母。

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